PORSCHE 356 A (1956〜59)
(写真のミニカーは56年以降のAタイプ)
1956 PORSCHE 356A (BRUMM)
1956 PORSCHE 356A (BRUMM)
1958 PORSCHE 356A Speedster (BRUMM)
1959 PORSCHE 356A ConvertibleD (BRUMM)
1959 PORSCHE 356A ConvertibleD (BRUMM)
1959 PORSCHE 356A ConvertibleD (BRUMM)
PORSCHE 356A Rallye Monte Carlo (BRUMM)
PORSCHE 356A Mille Miglia (BRUMM)
PORSCHE 356A Targa Florio (BRUMM)
PORSCHE 356A Rally delle Alpi (BRUMM)
PORSCHE 356A Mille Miglia (BRUMM)
PORSCHE 356A Rally delle Alpi (BRUMM)

ミニカーについて :

ここに紹介している356全てがイタリアのブルムというメーカーのミニカーです。
パッケージには「 Porsche 356 (1952) 」と表記してありますが、ミニカーを見ると、ヘッド・ライト下のスモール・ランプがホーン・グリルと一体になっていることやテール・ランプの形状からして1956年以降のAタイプだと思います。
ブルム製の356は、決して実車そっくりではないけど、雰囲気あるモデルで私は好きです。 ブルムではこのAタイプしか作っていませんが、かなりバリエーションがあって、ボディ・カラーの違いはもちろん、クーペ、コンバーチブル、スピードスターのボディ形状違い、色々なレース仕様など、かなりの数です。

実車 ポルシェ356Aにつて :

356は、ポルシェの名が冠された初の量産モデルです。第二次世界大戦によって壊滅的な打撃を受けたポルシェ社が一流のスポーツ・カー・メーカーとしての地位を築いたのは356シリーズの成功によるものだと言っても過言ではありません。
大戦中にヒトラーの命により乗用車から軍用車までを手掛けていたポルシェ社は、大戦後にフェルディナント・ポルシェがナチス・ドイツに協力したとみなされフランスに幽閉されシュツットガルトのポルシェ社の敷地を接収されてしまいます。 しかし、長男フェリー・ポルシェの様々な努力によりフェルディナントの保釈に成功。その後イタリアのチシタリア社を訪問したフェリー達は小排気量のスポーツ・クーペ、オープン・モデルが、フィアットのコンポーネンツを利用して作られている事に強く興味を持ち、これに触発され、既存のモデルをベースに2シーター・ライトウェイト・スポーツ・カーの開発に着手します。
その開発は1947年6月11日から正式にスタートし、「タイプ356プロジェクト」と命名された。
そして7月には第1号車である356.001の基本レイアウトが決定します。 翌年にはシャシーが完成し、順調にプロジェクトは進行していく。さらに流用するベース・モデルは、ポルシェ博士がフォルクス・ワーゲン(以下VW)設計したという事もあり、ベースはVWにスムーズに決定する。356.001は溶接鋼管スペース・フレーム・シャシーにVWのサスペンションを装着し、ミド・シップ・レイアウトを採るアルミ・ボディの2座席ロードスターで、鋼管アルミ・フレーム・シャシーにVWのアクスルと空冷水平対向4気筒OHV・ユニットを搭載していたが、その他主要パーツは殆どVWのものを流用していました。
そして、1948年9月に完成します。

その後356/2.001と呼ばれる第2号車が作られます。
第2号車はキャビンのスペース・ユーティリティが考慮され、パワー・ユニットがリア・アクスルより後に搭載されると共にクーペ・ボディで覆われ、その後の356の量産車に近い内容を持っていました。
1949年には本格的に販売が開始されますが、ボディ製作がハンドメイドのために1948年に4台、49年は25台、50年は18台が生産されただけだった。これまではスイスのグミュントにおいて生産されていたが、1949年に元のドイツのシュツットガルトへ戻り、工場を再開し、ボディ製作は地元のロイター社に依頼し、生産効率も高まる。

そしてドイツ製ポルシェ356の第1号車が1950年の4月に世に送り出された。
完全なドイツ製ポルシェ356は、シャシーの基本構成は大きな変更はないが、ボディを始め各部はリファインされ、より完成度を増した。 以前と同様ボディはクーペとカブリオレが用意されたが、ボディはアルミからスティール製になった他、細部の見直しも行われている。
例えばラウンド状のフロント・ウィンドーの採用、固定式三角窓の廃止、ピラー位置の変更による前方視界の改善、スペース確保のためのボンネット形状の見直し、空力的処理の洗練などがあげられる。エンジンは1086cc、キャブレターはソレックス32PBIに変更され、40馬力/4200r.p.m7.15kg-m/2800r.p.mを発揮した。
ポルシェは現在でもそうですが、毎年細かい改良が行われ進化していますが、356の時代も同様でした。
1951年
になると幾つかの改良が加えられる。最大の変更点はエンジンのバリエーションが追加された事で、それまでの1.1リッター・ユニットの他に1286cc、1488ccユニットが加えられ、グレードは1100、1300、1500の3種類となった。ちなみに1300は44馬力、1500は60馬力で、1500の最高時速は160km/hを記録した。
1952年
になると、1500シリーズに新たなソレックス製のキャブレターを装着し、圧縮比を上げ70馬力のユニットを搭載した1500Sが登場する。 そして356Aに変わる1955年までに様々な改良を施され進化し続けた。前述のように年を追うごとに改良が加えられていった356は、第2世代として位置付けられる356Aの生産が1956年モデルとして1955年10月から生産が開始された。
それまで同様にロイター社製のクーペ、カブリオレ、スピードスターの3種類のボディが用意された356Aの外観の違いは、フロント・ウィンドーがさらに滑らかな曲面を持つようになる。そして、サイド・シルにモールディングが付き、ヘッド・ランプの下のフロント・スモール・ランプがホーン・グリルと一体式になったことで以前のモデルと識別する事ができる。 そして今ではお馴染みのフェリー・ポルシェによってデザインされたポルシェのエンブレムがボンネット・リッドに備わった。機能面でも様々な改良が施されており、室内ではインストゥルメント・パネルが刷新され、スピード・メーター、レヴ・カウンター、そして油温/燃料のコンビの3つの大径メーターが並び、上部がソフト・パッドで覆われるようになった。 ハンド・ブレーキはアンブレラ型を採用し、シートはリクライニング機構を備えている。さらに、リア・エンジン特有のオーバー・ステアが指摘されていた足廻りにも大きく手が加えれれ、トーション・バーやダンパー、スタビライザーの見直しが図られるとともに、ホイール径は小さく幅が広い4.5J×15サイズとなった。 パワーユニットは1.5リッター版がボアアップされ1.6リッターとなり、1.3リッターと1.6リッターと2本立てとなった。
1582ccの排気量を持つ新しいエンジンは、やはり2つのチューニングが用意され、
1600が60馬力、 1600Sが75馬力を発生する。

1957年には、テール・ランプが左右それぞれ丸形2個のものから雨滴型になった。
1958年にはT−2と呼ばれるボディが採用されている。外観上はオーバー・ライダーの下部をエグゾースト・パイプが貫通するようになり、カブリオレとスピードスターの幌のリア・ウィンドーが拡大され、カブリオレには三角窓が付いた。 また、パワー・ユニットのラインナップが整理され1.3リッターエンジンが無くなった他、1.6リッターシリーズはシリンダーが軽合金から鋳鉄製になり、1600Sユニットはローラー・ベアリングからプレーン・ベアリングへと変更された。メカニカル部分では、ステアリングがVW製ウォーム・アンド・ナットからZF製ウォーム・アンド・ローラー・タイプとなりギア・レシオも改められ操舵力が軽減された。
1959年には、スピードスターがコンバーチブルDに移行した。 コンバーチブルDとは、スピードスターのコンセプトを継承しつつ更に豪華な装備を与えたモデルで、ボディの製作を担当したコーチビルダーのドラウツの頭文字「D」を取って命名されている。 コンバーチブルDは、スピードスターが天地が狭く丸いウィンドー・フレームを持つのに対し、角のある若干高めのフレームを採用、更に巻き上げ式のサイド・ウィンドーを備え、耐候性が増している。
シートはカブリオレと同じものが付いており、カブリオレにより近い居住性を確保したオープン2シーターとなった。
356Aは、55年559台、56年4201台、57年5241台、58年5994台、59年4631台生産された。