エンリケ・スカラブローニのデザインによるフォルムは、前年までチーフ・デザイナーだったジョン・バーナードのラインを確実に受け継いだ640の正常進化形です。
マクラーレンから加入のスティーブ・ニコルズやエンリケ・スカラブローニらの手でリアサスやディフューザーの改良、メンテナンス性の向上など施され、第3戦からは641/2へと進化した。
そして、当時「最も美しいフェラーリ」と、この641は称された。
F1界を代表するドライバーの一人、アラン・プロストの鬼神のようなドライビングで、79年以来最もチャンピオンに近いフェラーリの内の一台となりました。
しかし、それをうち破ったのは、マクラーレンMP4/5Bを駆る伝説のドライバー、アイルトン・セナです。
アラン・プロストが5勝、ゲルハルト・ベルガーが1勝を挙げた。
65度V型12気筒・DOHC・3499cc
641 (F190) (1990) VITESSE
641/2 (1990) Fabbri Ferrari Collection

90年、641/2の登場は、強力なエンジンパワーを利用して、巨大な翼で地面に抑えつけるという思想を一変させ、車体側の空気抵抗を減らし、地面に抑えつける力を効率的に得るという思想を再流行させることになった。
1990年度の好成績に満足したフェラーリは、641/2の改良型642を用意するが、空力の重要性に気付いたマクラーレン・ホンダ、ウィリアムズ・ルノーに遅れをとり、引責の人事更迭が続いた。
第7戦フランスで、新車643を投入するも時既に遅し。 1986年以来の年間0勝となり、チーム批判を続けたプロストも第15戦日本GPの後に解雇された。
DOHC65度V型12気筒3499cc
642 (1991) ROSSO
642 (1991) ROSSO

上記の経緯より第7戦フランスGPから投入された643。
91年からフェラーリに移籍したジャン・アレジ、フェラーリで初優勝を待つだけ・・・と期待されたが、641/2の成功が、結果的に643の投入時期を遅らせ、その後の開発方向も誤らせたのか?信頼性に乏しいマシンに苦戦した。
チームメイトであったアラン・プロストでさえ1勝もすることが出来なかった。
65度V型12気筒DOHC・3499cc

643 (1991) ROSSO


F92A (1992)
MINICHAMPS
65度V型12気筒・3496cc
フェラーリF1史上最悪のマシンといわれたF92Aです。 F92Aの「A」はオートマチック・トランスミッションの意味で「ツイン・アンダーパネル」や「ダブル・フロア」と呼ばれた変な2枚のアンダーパネルをもっていた。通常のアンダーパネルとサイドポンツーンの間にはトンネルが設けられ、このトンネルに空気を効率よく流すことでダウンフォースを得ようと考えた。 この効果を最大限に活かすためにサイドポッドもモノコック側面から離れて設置され、隙間はウィング状に整形されていた。 独立したラジエーター用エアインテークの形は丸みを帯びたノーズとともに戦闘機のそれを思わせ、F-15戦闘機のようだと言われた。 しかし、遅く、曲がらず、よく壊れた。

F93A (1993) VITESSE
65度V型12気筒・3497cc
前年の不振を引きずるまいとオーソドックスなデザインに戻し、何となく70年代後半のカラーリング風?になったフェラーリでしたが、時代はウイリアムズ・ルノーが先陣を斬って搭載したアクティブサスペンションという技術が必要不可欠となっていた。 車の素性は良かったものの、既に時代遅れの感は認めざるを得なく、満を持してイタリアGPで遂にアクティブサスベンションを実戦投入した。 V12エンジンにホンダが協力しました。 表彰台に上がったのは、モンツァでのジャン・アレジの3位のみ。 それもプロストがリタイアしたから・・・。

ジョンバーナードの復帰作。
彼が設計したマシンは当初ティアドロップ型のインテークで登場。
サイドポンツーンの形状が特徴的なマシーンだったが、成績は低迷。
サンマリノでのラッツェンバーガーとアイルトン・セナの死亡事故により、FIAは矢継ぎ早に安全規定を変更、空力デバイスに対して大きな制限がなされることになり、グスタフ・ブルナーがその規定に合わせてモディファイした車が412T1Bである。
改良点はフロントウイングの翼端板の短縮、エア・インテークの穴開け、ディフューザーの短縮等である。その後、ゲルハルト・ベルガーがドイツGPで優勝するなで、フェラーリは表彰台圏内に戻ってきた。
この年は、エンジニア部門に元ホンダの後藤治が加入した。
412T1 (1994) ONYX
412T1B (1994) Fabbri Ferrari Collection

伝統のフェラーリ12気筒エンジンを積んだ最後のフェラーリ412T2。
この412T2は、新型V10エンジン搭載を前提に設計されていたが、エンジン規定が、急遽3000ccに変更された。
そのためにエンジン開発に遅れが発生した。
そこでV12エンジンを搭載して実線投入された。この年のフェラーリは随分復調してきて、若干のトラブルは出るものの、完成度、信頼性、速さ・・・と少しは取り戻してきた。
しかし、どうしてもベネトンとウイリアムズには一歩及ばない。 予選は大抵4〜5番手にとどまり、決勝でも2〜3番手となってしまう。
412 T2は慢性的に燃費の問題を抱えていてカナダGPで優勝直後にガス欠を起こした事もある。 そのカナダGPではアレジが初優勝。
ちなみに412T2は、流行に逆らってハイ・ノーズを採用しなかった。

デザイナー : J・バーナード
75度V型12気筒・2997cc
6速セミオートマチック横置
タイヤ : グッドイヤー
412T2 (1995) MINICHAMPS
412T2 (1995) ONYX
412T2 (1995) ONYX

この年2年連続ワールドチャンピオンに輝いたミハエル・シューマッハがフェラーリに移籍。
F310はフェラーリで初めてV10エンジンを積んだマシンでしたが、空力バランスが悪く、時代に乗り遅れたスラントノーズ・・・と天才シューマッハも苦戦します。
シーズン中にそのスラントノーズを無理矢理ハイノーズに変更するなどしましたが、実際あまり効果がなかったようで、結局かなりの問題を抱えたままシーズンを終了しました。
75度V型10気筒・2998cc
F310 (1996) PAUL'S MODEL ART

1983年以来タイトルから見放されていたフェラーリ。 97年こそは栄光へのチャンスの年と前年の不調を取り戻すべく、シャシーや空力を考え全く新しく設計され、当初からハイノーズを前提としてデザインされました。
F310Bという名前だと前年型のマイナーチェンジ版のようですが、壊れやすいというフェラーリのイメージを大きく変えるほど信頼性に優れたマシンを作り上げたのです。
75度V型10気筒・2998cc
F310B (1997) PAUL'S MODEL ART

1998年からF1の速度上昇に危険を感じたFIAは、タイヤに溝を設け、接地面積を減らしてグリップ力を低下させるグルーブドタイヤを使う事でスピード対策の一環とする規定を設ける。
98年序盤は、マクラーレンとブリヂストンのタッグがフェラーリの壁となった。
シューマッハの前に立ちはだかるのは、F3からのライバル、ミカ・ハッキネン。
グルーブドタイヤ規定に対応するためにロリー・バーンとロス・ブラウンが開発の指揮をとりバラストで重量配分を改善する等行いシューマッハが6勝を挙げたが、王座には届かなかった。
ナロートレッド+溝つきのグルーブドタイヤは、開幕当初、殆どのチームがマシンのハンドリングに手を焼いた。 その改善策として各チームが続々とタワーウィングを投入する。
フェラーリも投入しましたが、ピット作業中の事故、ドライバーの側方の視界を遮る、クラッシュ危険性等が考えられ禁止された。
結局フェラーリのタワーウイング仕様は第4戦サンマリノGPの1戦のみで終わった。
F300 (1998) Mattel ELITE
F300 tower wing (1998) PAUL'S MODEL ART

ロリー・バーンとロス・ブラウンにより制作されたF399は、フェラーリにとって83年以来となるコンストラクターズチャンピオンマシンである。イギリスGPにおいてミハエル・シューマッハが事故で骨折し、戦線を離脱するも、エディー・アーバインの健闘によりミカ・ハッキネンとドライバーズチャンピオンシップを争った。F399はバーンの91年から続くハイノーズコンセプトを継承しており、サイドポンツーン上方の両サイドが盛り上がった様はバーンとブラウンによるチャンピオンマシン、ベネトンB195を彷彿とさせる。前年型F300の中盤から採用された
F399 (1999) Mattel
80度V型10気筒・2997cc
上方排気システムは継続され、さらに洗練度を増している。 他にも後退角の付いたフロントウィングやリアウィング等外観上の特徴が多い。 マレーシアGP後にはサイドディフレクターの規定違反も取りざたされるなど話題に事欠かなかったマシンである。