1960年はフロント・エンジン・レイアウトのフェラーリF1最後の年となります。他チームのマシンがミドシップに変わる中、フェラーリのフロント・エンジン・マシンは苦戦し、その246ディーノV6ユニットをミドシップレイアウトに搭載した試作車である246Pを試験的に2戦投入する。
しかし、トラブルに見舞われる等良い戦績を残す事ができず、翌年から1500ccとなったミドシップマシン、156へと移行します。

246P (1960) Fabbri Ferrari Collection

他のチームのマシンがミドシップに移行する中フェラーリ・チームにとって厳しい状況になりました。  細部の改良などを行ったもののチャンピオンはクーパーにとられました。途中ミドシップ・レイアウトのプロトタイプ246Pを登場させましたが、トラブルに見舞われ良い成績とはいえませんでした。 1961年からF1規定は自然吸気1500ccエンジンになります。そして、同じ排気量のF2で活躍を収めたディーノV6ユニットをミッドシップに搭載した156を開発します。
更にカルロ・キティによる120度V6エンジンも投入され、出力が10馬力アップの190馬力になりました。これにより156は別格の強さを誇りました。 フィル・ヒルとウォルフガング・フォン・トリップスのチームメイト同士のタイトル争いになり、フィル・ヒルが王座に輝きました。
そして、フェラーリ初となるコンストラクターズタイトルも獲得します。
156 (1961)BRUMM
156 (1962) Fabbri Ferrari Collection

61年に優勝したフェラーリは、62年も同スペック、ボディも殆ど変わらない156で参戦しますが、シャシー・セッティングが決まらず、どのドライバーも成績がふるいませんでした。 63年はエンジン・スペックはそのままでしたが、デザイナーにM・フォルギエリが加わり、外観も変わりました。しかし、やはりシャシー・セッティングが決まらず苦戦します。 シーズン中は、翌年のための開発を行いながらレースに挑んでいましたが、難航していました。

156 (1963) ixo

61年に156で優勝したフェラーリでしたが、62年、63年はシャシー・セッティングがまらず苦戦することになります。 63年シーズン中、翌年のための開発を行っていたが、難航していた。そして翌年の64年セミ・モノコック・シャシー、1.5リッターV8DOHCエンジンが搭載され、158が登場します。(210馬力)そして、デビュー戦で早くも優勝を飾ります。 その後も手堅くポイントを稼ぎ、ドライバーズ、コンストラクターズ両チャンピオンを獲得します。

158 (1964) BRUMM

1964年にドライバーズ・タイトル、コンストラクターズ・タイトルの両チャンピオンを獲得したフェラーリでしたが、1965年シーズンを担う前年から開発が始まっていた水平対向12気筒の新エンジンを搭載した512を投入するも信頼性に問題が残されていました。
発表当初は高出力で高い戦闘力を示す数値でしたが、シーズンが始まっても信頼性の向上はなかなかうまくいかないのとジム・クラークとロータスの圧勝により1.5リッターで争われる最後のシーズンのタイトルは逃してしまった。

デザイナー : M・フォルギエリ
90度V型8気筒1489cc
タイヤ : ダンロップ
1512 (1965) BRUMM
1512 (1965) BRUMM

1964年シーズンに2冠に輝いた158は、1966年まで出走します。
1965年からは水平対向12気筒エンジン207の開発が始まり、それを搭載した1512が登場しました。
そして、1966年からエンジンに関するF1規定が変更され3000cc以下(加給器付きの場合は1500cc)となります。
そして、その規定に対応してV6エンジン228を搭載したのが246です。
そしてその後、新規定に完全に対応したF1マシン312に移行します。
しかし、ここからがスクーデリア・フェラーリの最初の低迷期が始まる。新レギュレーションの対応したエンジンの出力は350馬力以上とされていたが、実際にはそれ程の出力は出ておらず、他のチームのマシンに比べてパワーで劣る。
結局この年は2勝のみに終わった・・・。
246 F1 (1966) Fabbri Ferrari Collection
312 (1966) Fabbri Ferrari Collection

67年開幕は、前年からの大きな変更もなく迎える。 よってパワー不足や操縦性などの問題は解決されていなかった。その影響かロレンゾ・バンディーニがモナコGPでクラッシュし、焼死していまう・・・。 66年シーズンは、これからのF1を変えた軽量コンンパクトでコストパフォーマンスに優れたフォード・コスワース・DFVエンジンが登場し、更にフェラーリ・チームを苦しめる。 結局0勝に終わり、最高位も3位止まりだった。 モデルは第6戦イギリスGPでクリス・エイモンが3位に入った時の仕様です。
312 (1967) Hotwheels ELITE

フェラーリはこの312で熱心に参戦しますが、昨年登場したフォード・コスワース・DFVエンジンを積むブラバム、ロータス、マクラーレン勢にドライバーズ、コンストラクターズ・タイトルを独占する。
エンジン・パワーはDFV同等以上あったが、燃費の悪さが災いして苦戦しています。
フェラーリの復活の兆しが芽生えるのは1974年まで待つことになります。
DOHC・V12・2989cc
66年360馬力、67年390馬力
68年405馬力、69年436馬力
個人的な意見ですが、フェラーリのF1の中でこの葉巻型のF1は大好きです。特に上の写真のエンジンの上にでかいウィングがついたマシン。最高!
312 (1968) BRUMM
312 (1968) BRUMM

312 Prototype (1969) BRUMM
312 (1969) BRUMM
312 (1969) BRUMM
312 (1969) BRUMM
68年モデルからの発展版。主にエンジンのシリンダーヘッドなどの内部の改良でパワーアップをはかった。
しかし、より高い位置へと発展したウィングによる事故もあり、スペインGPからウィングの大幅な規制が加えられたことと、従来の重量過多とエンジンの信頼性不足が露呈し成績も低迷してしまった。
312 (1969) BRUMM