512S (1970) BRUMM
512Sのデビューは69年末、フェラーリの本拠地モデナで70年マニファクチャラーズ選手権を狙う512Sのテストが開始されました。エンジンはフェラーリが最も得意とする水冷60度V12気筒、DOHC4993ccの排気量から600HP/8500rmpの出力を発揮。
シャーシは、鋼管スペース・フレームとアルミボディによるセミ・モノコック構造。ノーズは低く空力的により優れたものになりました。車重もポルシェ917Kの910kgに対して915kg。
70年の選手権はフェラーリ512Sとポルシェ917Kの対決の場となり、ひけをとらないフェラーリだったがトラブルやミスからポルシェの進撃に敗退しました。
この512Sは、成績が成績だけに鉄の馬などと揶揄され、歴代フェラーリの中でも失敗作の烙印を押されてしまいました。
バリエーションとしてショートテール、スパイダー、ル・マンなどで用いられたロングテール等があります。
写真上からゼッケン20番が1000kmスパ・レース仕様、28番が24時間デイトナ・レース仕様、6番がモンツァ1000kmレース仕様です。
512S (1970) BRUMM
512S (1970) Verem

500 TRC NURBURGRING
(1970) G. Koechert
ART MODEL

50年代に活躍した4気筒フェラーリの1台。
このクルマの解説は、40、50年代のページの中で解説してますので、割愛します。
このミニカーの会社「アートモデル」からは、様々な仕様の500TRCが発売されています。
写真のニュルブルクリンクのモデルはエンジン・フードが開き、エンジンが見えるようになっています。 アートモデルの500TRCは凄く出来が良く、特にホイールはGood!です。
TRとTRCの違いは56年のレギュレーション変更の項目Cに由来します。


365GTB/4 (1970) RIO

60年代のページで説明したようにプレキシグラスで覆われたヘッドランプがアメリカ連邦安全基準に適合するためリトラクタブル方式に変更されたモデルです。

そして、96年にマラネロが登場する迄の最後のFRフェラーリとなったモデル。

名前の365は1気筒あたりの排気量をそのまま車名として表す方法を踏襲しています。

後に365GT4/BBへと引き継がれていきますが、ランボルギーニは66年にミドシップ・ロードカー、ミウラを発表、71年にはカウンタックを発表しています。

アメリカで大人気だったスパイダー、写真の黒のボディ・カラーのデイトナを見ると、「マイアミ・ヴァイス」を思い出してしまいます。 しかし、「マイアミ・ヴァイス」に登場したデイトナはアメ車をベースとしたレプリカだったかな? 古い映画では「ガムボール・ラリー」で主人公が乗るコブラと激闘を繰り広げたデイトナも思い出してしまいます。

写真下のレース仕様のデイトナは、1971年のスクーデリア・マラネロというレーシング・チームのレース出場車です。バンパーが取り払われ、ライトを覆うカバーがレーシーな雰囲気を醸し出していますね。 デイトナはル・マン24時間等様々なレースシーンで活躍しました。

365GTS/4 (1970) RIO
365GTB/4 (1971) RIO

365 GTC/4 (1971) ixo
365GT 2+2の後継モデルとして1971年に登場しました。  ピニンファリーナによるスタイリングは他のフェラーリとは趣向が違うもので優雅さにやや欠けており、フェラーリの中では陰に隠れがちな存在である。 後ろに+2のシートはあったが、先代の365GT2+2よりも狭く一方で純2シーターの花形モデルであったデイトナと生産時期が重なった事も不人気の要因とみられる。
60度V型12気筒DOHC4,390ccエンジンをフロント縦置で搭載。

512M (1971) BRUMM

ポルシェに好き放題やられていた前年型の512Sをベースにエアロダイナミクスに優れたボディを持たす等の大幅な改良を施し512Mを完成させます。

しかし、ル・マンに9台ものエントリーをしたにもかかわらず、良い成績は残せませんでした。

好成績を残せなかった要因として、新たに開発中の312PBに力を注いでいた事もある。


312PB (1972) BRUMM
512S、512Mと散々ポルシェに苦しめられましたが、72年からレギュレーションの改定が行われ、排気量3リッター以下であれば生産台数に義務のないコンペティティブなオープン2シーター・マシンの製作が可能になり、フェラーリはそれにそって312PBを作り上げた。
水平対向12気筒DOHCユニットは440馬力を発生。 72年シーズンのタルガ・フローリオ、モンツァなど多数のレースで優勝をさらい、フェラーリに再びチャンピオンの座をもたらす。
写真はモンツァ1000kmレース仕様。

Dino 246GT LM Prova (1972) Bang
1967年にフェラーリの設計、フィアットの生産で誕生したV6ユニットをミッドシップに搭載したエンツォの亡き愛息の名を冠した「ディーノ」。
当初の1987ccV6DOHCエンジンを搭載する206GTから1969年、排気量を2418ccにアップした246GTに発展しました。
基本的にハンドリングの優れた高性能小型クーペの市販車としてフェラーリのボトムラインと位置付けられ、1972年のルマン24hにクラス優勝を狙って出場する為の開発されたレーシングディーノ、246GT・LMのテストカー仕様です。

Dino 246GT at Watkins Glen (1972) Bang
ディーノはレースでの活躍が殆どなく、プライベートチームが国内のレースとラリーにいくつか出場したりと積極的な活動はありません。
唯一国際的な大舞台は1972年のルマンでルイジ・キネッティのノースアメリカン・レーシングチームが、大幅にモディファイした246GTでエントリーしています。 ジル・ドンショー/ピエール・ラフェアッシュ/イヴ・フォルスティエの操縦により総合17位で完走、性能指数賞7位を獲得。 写真の246GTはアメリカのサーキットワトキンズ・グレンで走った仕様です。

カウンタックのライバルとして知られる365GT4/BBですが、フェラーリのロードカーとして初めて12気筒エンジンをミドシップ・レイアウトに搭載したモデルです。

ライバルのランボルギーニがミウラおよびカウンタックというミドシップ車をたて続けにリリースしたことを受けて、フェラーリはカウンタックに遅れること約半年というタイミングで365GT4/BBを世に送り出しました。

1969年から365GT4/BBの前のフェラーリのフラッグシップ・カーに位置付けられていたフロント・エンジン後輪駆動方式の365GTB/4(デイトナ)の次期モデルとして軽量化、空力的ボディーの設計、ミッドシップ車輛量産ノウハウの蓄積を目的に開発がスタートしました。

BBは「ベルリネッタ・ボクサー」の略で、4390ccの12気筒エンジンを搭載。

365GT4BB (1973) LookSmart

308GTB (1975) VITESSE

ディーノ246GTの後継車として、73年に8気筒2+のディーノ308GTB4がデビューします。

これが後の8気筒フェラーリのルーツとなります。 4人が乗れる便利な存在でありましたが、世間はやはりスポーティなものを期待してしまいます。

そして、75年同じ3リッターV8ユニットを搭載した308GTBがデビューします。

当初ボディはFRPでしたが、77年にはスティールに代わりました。


512BB (1976) BEST
打倒フェラーリを揚げるランボルギーニを打倒すべく、カウンタックのデビューから半年後、ロードカーとしては世界一の走行速度302km/hを誇る新しい12気筒ベルリネッタが登場したのが、71年のトリノ・ショーでの365GT/4BBでした。 そして、ランボルギーニ・カウンタックと「公道世界最速」の称号を競いあっていたが、排気ガス規制が訪れて、特にこの種の車両には深刻な問題となりました。 その対策として365GT/4BBの排気量を600ccアップし、マイナーチェンジしたのがこの512BBです。 排気量アップによりトルクこそ増大しましたが、パワーは360馬力に低下しました。
フェラーリの慣習として1気筒あたりの排気量を車両名としていましたが、512BBのネーミングは排気量5リッターで12気筒ということになっています。 BBは、ベルリネッタ・ボクサーの略です。 この頃のフェラーリは製造時期によって細かな仕様や部品がよく変更されています。1981年にボッシュ・K・ジェトロニック・インジェクションを搭載した512BBiへマイナーチェンジされ、規制への対応で有利になるとに始動性等の点で扱いやすくなった。トルクは46.0kgm/4200rpmを発揮していたが、最高出力は340馬力/6000rpmに低下した。公称の最高速度は最高速は280km/hとされています。
1976年から81年までに929台生産されてます。 スーパーカー・ブーム時代の代表の的なクルマですね。
512BB (1976) ixo
512BB (1976) solido