250GT CALIFORNIA SPIDER (1960) VITESSE
50年代フェラーリのページで紹介した375アメリカ等のアメリカ向けフェラーリはその時代のアメリカの自動車事情を意識して大きなテールフィン、メッキパーツなど豪華仕様でした。
しかし、アメリカ人が望んでいたのは豪華なフェラーリではなく、スポーティで、ちょっとした装備を取り払うだけでレースに参戦できるようなスパイダーでした。
そして登場したのが、歴代フェラーリスパイダーの中でも最も人気を誇る250GTカリフォルニア・スパイダーです。

250GT CALIFORNIA SPIDER (1961) idea3
カリフォルニア・スパイダーはヘッドランプが露出したもの(写真上)とやや奥まってプレクシグラスのカバーが付く物(写真左)の2種類がありました。
搭載されるエンジンは240馬力/7000rpmを発揮、更にチューニングの高いタイプも選べました。 又総アルミの軽量ボディのコンペティションバージョンも造られ、ル・マンで活躍したクルマもありました。

246SP (1961) ART MODEL
1958年からフォーミュラではミドシップ・レイアウトのマシンが投入され始め、フェラーリも61年からミドシップ・レイアウトになる。
当然の事ながらスポーツ・カーにも採用されるようになります。
そして登場したのがこの246SPです。
 ・水冷65度V型6気筒DOHC
 ・ 排気量 : 2417cc
 ・ 275馬力/7500rpm
 ・ 5段M/T
 ・ 車輌重量 : 750kg

196SP (1962) ART MODEL

上記の246SPが1961年に登場し、翌年の62年には新たに3台のマシンが発表された。
1.9リッターV6・エンジンを搭載する196SP、
2.8リッターV6エンジンを搭載する286SP、
2.4リッターV8エンジンを搭載する248SPである。 これらのミドシップ・スポーツ登場をキッカケに1963年からフェラーリのミドシップ・マシーンの本格的な活動が始まる。
水冷60度V型6気筒SOHC・1983cc
220馬力/7800rpm


250GTO (1962〜64) BOX

62年にワールド・スポーツ・カー・チャンピオンシップのレギュレーションの内容がフェラーリにタイトルを独占できないように内容が変更され、1年間に100台を生産するGTカテゴリーが生まれた。 しかし、フェラーリはそのカテゴリーのタイトルも狙うべく、1年かけて250GT SWBのシャーシや250TR用のエンジンを使って開発したクルマがこのGTOです。
SOHC・V12・2953cc・300馬力


250LM (1963〜65) BOX

フォーミュラマシンがフロント・エンジンからミドシップ・レイアウトに変わる中、当然スポーツ・カーにも採用されていく。
62年に3台のプロトタイプが発表されたがミドシップ・マシンが本格的な活動を開始するのは63年に投入されたテスタ・ロッサと同じV12を搭載する250Pからです。
そして、GTカテゴリーでも戦わせようと250Pにルーフを付け登場させたのが、この250LM。
SOHC・V12・3285cc・320馬力


330P2 (1965) BOX

250PをルーツとするV12ミドシップ・スポーツ・プロトタイプ「Pシリーズ」は、64年にボアアップされ275P、330Pへと発展する。
当初は活躍したものの様々な改良を施していくが、フォード等のライバルに対する戦闘力は除々に下がっていってします。 そこで翌年65年にフレーム、シャーシー2プラグのDOHCヘッドを装着したV12エンジン、キャブレターの拡大等を行い登場したのが、330P2です。
DOHC・V12・3967cc・410馬力


330P3 (1966) BRUMM
66年シーズン用兵器として現われた330P3は、前年の330P2を更に発展させたもので、ウェーバー・キャブからルーカス製のインジェクションに代え420馬力へとパワーアップ。
最も大きく変化したのはボディーで、航空機のキャノピーを思わせる半球型のコックピットやプレクシグラスで覆われたたて4灯のヘッドランプ、要所要所に開けられたエアダクトなど、コンペティション・マシンとして充分に考慮されたスタイルとなった。

DINO 206S (1966) ART MODEL
250Pをルーツとするミドシップ・スポーツプロトタイプ「Pシリーズ」は330Pへと発展していく。
その流れの中で1965年に1592cc、V6DOHCディーノ・ユニットを搭載した166Pが登場。
シャシーは軽量鋼管スペース・フレームに、アルミ・パネルをリベット留めしたセミモノコック構造で330Pなどと同じ手法で作られている。
そして翌年の66年に2リッターのV6DOHCユニットが搭載され、206となる。 そのアルミ・ボディは330P3のスケールダウン版という感じでかっこいいよなぁ〜♪

Dino 206 Competizione (1967) LookSmart

1967年のフランクフルト・ショーに登場。
市販車であるDinoの元となったクルマではなくデザインの研究とエアロダイナミクスの実験のため、フェラーリとピニンファリーナが組んで製造したコンセプトカー。
市販車のDino206GTが生産されるまでにいくつかプロトタイプが登場します。最初に登場したプロトタイプが1965年。
翌年の66年に市販車に近いモデルが登場。
67年に登場したのがこれですが、市販に行き着く流れとは関係ないようです。


330P4 (1967) BRUMM

上記の330P3は、モンツァ1000km、スパ1000kmで優勝を果たすもののル・マンでは出場した3台がトラブルや事故でリタイアする等で、フォード勢に完敗してしまう。
翌年、3台のうち1台が330P4として改造された。 エンジンの排気量はそのままでしたが、ヘッド回りは大きく変更され吸気はVバンクの谷間からではなく、各バンクの吸排気カムシャフトの間から行われるようになり、吸気2排気1の3バルブ方式となった。
この新しいヘッドになり、そのパワーは450馬力となる。 ちなみに他2台は412Pに改良され、3台の330P4が追加された。そして、デビューレースである1967年のデイトナ24時間レースで、330P4の3台が横1列に並んでの1,2,3フィニッシュとなった。
しかしル・マンでは、またしてもフォードのGTマークWに優勝を奪われてしまった。

330P4 (1967) BRUMM

275GTB/4 (1967〜1968) BOX
64年に登場した275GTBは、これまでのコンペティションをモデルとしたものとは違い豪華なグラン・ツーリスモとして登場した。
しかし、その豪華さの下にはエポックメイキングなメカニズムが数多く存在した。
搭載されるエンジンは、ティーポ213と呼ばれるV12、SOHCで3285ccの排気量から280馬力のパワーを得る。 サスペンションはロードカーとしては初めて前後にダブル・ウィッシュボーンの4輪独立となった。 ギアボックスはエンジンと切り離され、リア・セクションにデフと一体で配置する、トランス・アクスル方式を採用。
ダンロップの4ポット・キャリパーを備える4輪ディスク・ブレーキには、サーボアシストが備わり、更にホイールはロードカーとして初めてワイヤでなくカンパニョーロのアロイ・デッシュが採用された。
そして、67年にDOHCユニットが搭載され4カムシャフトを意味して275GTB/4となる。
DOHC・V12・3285cc・300馬力
275GTS/4 (1967〜1968) BOX

365GTB/4 Competizione (1968) VEREM
68年、365GTB/4になる前に2台のプロトタイプが登場。 そのうちの1台が67年のデイトナ24時間レースで330P4が1,2,3フィニッシュしたのを記念して275GTB/4デイトナと呼ばれていたもので、この1台は生産型に近いスタイリングで後にデイトナと呼ばれる由来になった1台です。
スタイリングは、今迄とは違い直線的になり目新しいものとなった。当初デイトナはプレクシグラスに覆われたヘッドランプでしたが、アメリカ連邦安全基準に適合させるために70年にリトラクタブル方式になり、1971年にはヨーロッパ向けも含め全てがリトラクタブルに変更された。
69年には、スパイダーボディを持ったGTS/4がデビューし、デイトナは大好きなので、70年の2台を含め5台揃えてしまいました。
KYOSHOのデイトナはフロントとリアのフードが開き、エンジンも造り込んであります。内装も良く出来てます。
365GTB/4 (1968) ixo
365GTB/4 (1969) KYOSHO

P5 (1968) Red Line
フェラーリのコンセプトモデルで1968年に1台のみが製造され、同年のジュネーブショーに出展されました。
330P4をベースにし、その流麗なボディ・デザインは当時ピニンファリーナのチーフ・デザイナーだったレオナルド・フィオラヴァンティよるものです。
特徴的なフロントライトユニットは、7個の角型ライトで構成され、ドアはガルウイング方式を採用しています。

Dino206GT (1968) VITESSE
65年のパリサロンにディーノ206SPが登場。
スタイルは現実離れしたものでしたが、翌年66年のトリノ・ショーに現実味を帯びたプロトタイプが登場。  そして、この2台を経て67年にディーノ206GTがデビューを果たす。
しかし、フィアットがエンジンを手がけ「12気筒以外のストラダーレはフェラーリと呼ばない。」との発言もあり、実際販売される時点では、フェラーリの名も跳ね馬のエンブレムも与えられておらず、ディーノがブランド名になっていた。
そして、2年後の69年に1986ccから2418ccにボアアップされディーノ246GTへと発展する。 エンジン・ブロックがアルミから鋳鉄製、ボディパネルもアルミからスティール製となった。
その他外見的な違いは、206の方がホイールベース、全長が短く、屋根の高さが低い、センターロック・ホイール、露出ガスキャップになっている。 そして、エンジン熱排出穴が246は7個あるが、206は6個。 ルーフのエンドまでの流れにも違いがある。
ディーノはレースでの活躍が殆どなく、プライベートチームが国内のレースとラリーにいくつか出場したりと積極的な活動はありません。
唯一国際的な大舞台は1972年のルマンでルイジ・キネッティのノースアメリカン・レーシングチームがエントリーし総合17位で完走したくらいでしょうか。
写真のモデルはレース用にモディファイされたプロトタイプですかね。フロント・バンパーが外され、リップスポイラーが装着されているのがレーシーですね。
Dino246GT (1969) VITESSE
Dino246GT American Racing (1969) Bang

512S Pininfarina (1969) mebetoys
1969年にピニンファリーナがコンセプトカーとしてトリノショーで発表されました。
フェラーリのレーシングマシンである512Sのシャーシにピニンファリーナ製作のボディを装着。
前年に発表された上のP5は流麗なボディ・デザインでしたが、この512Sは同じレオナルド・フィオラヴァンティのデザインでも強烈なウェッジシェイプ・デザインになっていますね。
フロントウィンドウと一体となって跳ね上がるドアはショーモデルならではの造型です。

312P (1969) BEST
当時、スポーツカー・レースはフェラーリとフォードの戦いがエスカレートしていた。
しかし、1968年に生産台数、排気量制限のレギュレーション変更が行われ、フォードはレースから撤退する。 フェラーリも68年は歴史上初めて出場を中止。 そして翌年の69年にF−1の3リッター・ユニットを積んだこの312Pをグループ6に登場させる。
しかし、期待はずれに終わってしまった。
その後、生産台数規定に変更があったグループ4に照準を合わせ、ポルシェに打ちのめされる事も知らず、70年に512Sを投入する・・・。